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2023年5月23日火曜日

インプットとアウトプット

 ブログの存在を忘れてしまうところでした。
タイトルの「活動”日誌”」に偽りアリ。

きょうは劇団が誇る定番メニューで稽古しました。
いわく「ものまね王座 決定戦」「弟子入りするやつ(仮)」の2本です。
「ものまね王座」の校内順位1位~3位は、演劇部が独占です。
(ほかに参加している生徒は、校内に誰もいませんが)
審査員の講評も含めて、久しぶりに本寸法の稽古ができました。
「弟子入りするやつ(仮)」もそうですが、
このエチュードの狙いは、「インプットとアウトプット」だと思います。
名前からイメージしたキャラクターを、いかにして現出させるか。
一度見たきりの演技?を、いかに再現するか。
自分のカラダやココロを、思ったとおりにコントロールしてみる。
これは”経験”です、稽古そのものが演劇活動です。
演劇部って、公演するだけが活動じゃないですからね。

2021年2月23日火曜日

博士とマリエ~最終章~

弊社に博士とマリエというキャラクターがおります。

はじめての登場は『深呼吸までの距離』(2013)。

それ以来、さまざまな作品に登場させてきました。

今回のお芝居はこの二人を堂々主役に据えてお送りいたします。

とは言え博マリが直近で登場したのは『贋作 春琴抄』ですので、

ああ、もう2017年になるんですね。

そんなになるんだ。

で、まあなぜいま博マリなのかと言いますと、

キャストを務めます1年生2人が男&女の組み合わせだから、

なのですね。

 

演劇初心者である1年生には、不幸なことに先輩がおりません。

厳密にはおりますが一緒にガッツリ稽古をしたことがありません。

 

だから手本というか見本というか、

ヒナガタというかプロトタイプというか、

「ま、だいたいこんなカンジでいいんじゃない」

というサンプルが身近にないんですね。














で、顧問二人が台本を読んでみました。

都合の良いことに顧問も男&女の組み合わせなのです。

もちろん参考程度に、って意味であって、

これが正解! だなんて露ほども思っておりませんが。

してみせて 言って聞かせて させてみる

これは上杉鷹山の名言です。

 

具体例をひとつ示したところで、

それはただ種を蒔いたにすぎません。

彼らの演技に劇的な変化は望むべくもありませんが、

こういうのは個人の中で“熟成”するんですよね。

他人の芝居を見てすぐにコピーするより、

しっかり身の内に落とし込んでから表現したほうがいい。

 

テスト期間に入っても、

頭のどこか片隅に、

芝居のことがフックしていれば大丈夫。

がんばっていきまっしょい!

 

BGM : AiNA THE END “誰誰誰”

2021年2月19日金曜日

よくやるテ


天才的な劇団員というものがおらんもんで

北島マヤみたいなのはおらんもんで

みんなで知恵を出し合って

足し算でなく、できれば掛け算で

芝居を作っていきたいのです。


さて弊社の本読みですが

キャスティングをコンバートするというテを

ずっと以前からやってまして

そうすることで自分が何を要求されていたのかがわかるし

そうすることで相手役が何をしたいのかがわかる。

自分の役に還った時に

相手の気持ちがようわかるようになる。


演出から 「動き」 を指示されるのを待つだけでは

ヒリヒリした稽古にはならんでしょうが。


でもいまはまだその時期ではないかな。


本読みしながら

「ここ、どうしても動きたい」

という衝動が自然に発動してくるようでなければ

その感覚を肌感覚として一度でも体験しなければ

コンバートしても気付きは得にくい。


「動きたい」 という境地に達するには

はじめは計算ずくでもいいかもしれないね。

そのうちに自分の中に計算式が自然に組み込まれて

任意の数値に対する最適解が自動的に得られるようになる。


解の公式を最初から持っている人は

弊社にはおらんし、いらん。

「なんでそこで動いたの」

と聞かれたら

ちゃんと説明できなければいけません。



2020年9月15日火曜日

がち!

本日の舞台鑑賞会(映像ですけどね)の復習をしましょう!
演劇にはさまざまな「がち」が存在します。

まず冒頭から
ソファに座ったかと思うとスグに立ち上がりがち
かと思うとソファの周りをぐるりと回ってまた座りがち
ぐるぐるしながら会話を続けがち
冒頭の会話であくまで自然に状況が説明されがち

照明でエリアが区切られがち
エリアからエリアを移動する時にMEをあおりがち
移動して照明が決まると同時にセリフを発しがち
いわゆる時間と空間を軽やかに飛び越えがち

オープニングでダンスしがち
ダンスに傘とか使いがち
役柄の関係性をここで紹介しがち

少年は少女と出会いがち
「ひょんなこと」が起こりがち
脇役にコンビとかトリオとかが登場しがち
ストーリーとは関係無く細かい笑いを欲しがりがち
悪ノリしがち
ちょっとしたことで強く怒りがち
しかも相手役も同じテンションで怒ってきがち
MEがさらに双方の怒りを増幅しがち
結果として役者の台詞が聞き取りにくくなりがち

昔はヒロインやってたヒトが悪役を演じがち
制作で入ったヒトが役者に転向しがち
しかも主役を演じがち
若手女優をゲストに迎えがち
しかもこれが初舞台

そしてクライマックス
激しく時間と空間が行ったり来たりしがち
せわしなく役者がデたりハケたりしがち
照明・音響のスタッフはてんやわんや
観ているこちらの方が焦りがち
万感の思いを込めたシーンは
セリフではなくむしろ所作で表現しがち
抱きしめようとした腕が一瞬ためらいがち
天国に召される時の照明は目潰しを使いがち

後日譚
脇役の会話が長く続くと思ったら主役が着替えて登場しがち
ラストはもちろん音響をあおりがち
役者は所作で会話を続けがち
緞帳が降りきるまで



ちなみに
これってどこの演劇集団のなんという作品かわかりますか?
(あ、演劇集団って言っちゃった)
いいぇ別に他意はないんですよ。
ホントに。
こういう手法はウチの作品でも何度も試しましたからね。
それこそ何度もね。
むしろ好きなんですよ。
うん。
1年生にわかってもらえるかなぁ。


はやく活動再開してくれ!


2020年9月7日月曜日

史上初をやっております

たいしたことではありませんが…。
振り返れば劇団史上初。
これまでやってこなかったことが異常。

まず、前回のブログでもお知らせしましたとおり、
劇団ERAは秋季地区発表会に参加しません。
新型コロナがこわいからということももちろんあります。
でもそれでボイコットするわけじゃぁない。
いまはまだ客前に出せる状態じゃないんです、
ホンットに。
とにかく未経験の新人ばかりが集まりましたから。
ヤル気だけはあるみたいなのが救いです。

で、今回ですね、画期的なことをしまして、
練習計画表なるものを作成したんです。
この9月はそれにしたがって稽古をすすめております。
実はこれが劇団史上初となります。
大会に出るあてもないままに、ひたすら基礎練習の日々です。
逆にそのおかげで副産物がありました。
ゆったりと毎日を過ごせてるんです。
計画表を作ったのも初ですが、
こんなに稽古そのものが目的化するのは初めて。
なにより気持ちに余裕があります。

もちろんこれまでも大会前にはスケジュールを組みました。
でもそれって大会の日程から逆算して決めた、
いわばノルマをこなすための計画。
ひしひしと実感してます。
今までどんだけ忙しかったんだろう。
ずっと外発的な圧力に追われてきたんだなぁ。
自分たちの意志とは関係なく、
演劇「させられて」いたんじゃないか。

新型コロナの影響で8本の公演がフイになりましたが、
(8本だぞ8本!ひとつやふたつ大会がなくなったぐらいで泣いてんじゃねえよどこかの運動部さんよ)
たしかに現役部員たちには不幸なことですが、
逆に「演劇部」の活動の在り方を考え直す機会になりました。

階段の一番下から一段ずつレベルアップできるよう、
毎日のメニューを月単位で組みました。
初歩の初歩、基礎の基礎から、徐々に身につけられるように。

ひとつひとつの練習に入る前には、
そのメニューを通してどんな能力を身につけて欲しいのか、
以前にやったメニューとどうつながっているのかを、
明確に伝えるようにしています。

ようやくよちよち歩きを始めたばかりで、
現役が成長を実感することなんてまだまだ先のことでしょうけど、
薄紙でも重ねていけばいつか分厚くなることを信じて。
がんばっていきまっしょい!


2020年5月9日土曜日

アフターコロナの演劇部

つらつら考えています。


今回の件で何が煩瑣ったいかって言ったら、
終わりが見えないってことですよね。
せっかく学校が再開して稽古ができるようになっても、
いつまた「緊急事態宣言」が発出されるかわからん。

公演に向けてそれまで積み上げてきたものが、
エライ人の眉一本で潰れてしまうんです。
(それはチト言い過ぎか)
私たちもここまででイベント4つ飛ばされてます。
『捨てられた島』は上演可能まで漕ぎ着けていました。
そこに費やした時間とカネは戻ってきません。
『13階の月光』の脚本創作にかけた労力は全部ムダになりました。
もちろん何の補償もない、あるわけがない。

これまでの稽古はだいたい↓こんなカンジでした。
放課後、部員が稽古場と呼ばれる教室に集合。
校内公演に備えて完全遮光、窓の開閉は不可。
基礎練習のルーティン、即興芝居、台本の小返し。
車座になって一日の反省。
狭い教室に毎日3時間も籠って練習してました。
(休日は9時間ですわっっっ)
集・近・閉の三点セット成立です。

従来の稽古スタイルをリノベーションしなけりゃいけないんですね。
これまでのようなやり方では立ち行かないのです。
固定観念の殻を喰い破るのです!
そう!土佐嵐高校の番場蛮のように!


キーワードは「お子様ランチ」です。
あるいは「ミックスグリルランチ」でもいい。
だって、エビフライも、スパゲティも、ハンバーグも食べたいじゃないですか。
ライス・日替わりスープ付きだったらなお嬉しいじゃないですか。
お腹いっぱいのてんこ盛りでなきゃ満足できない。

われわれの目指す方向はこれです。

ロックがやりたい! 歌も唄いたい! カッコイイ格闘技も! ダンスも!
そして忘れちゃいけないもちろんお芝居も。

んで、これらを組み合わせて1本の作品にするってどうですか。
「♫やりたいこと やったもん勝ち」の贅沢フル三昧で行きましょう。




地味な幕の内弁当じゃなくってね。
やりたいのはあくまで「ミックスグリルランチ」です。

これがどうしてアフターコロナ時代の演劇なのか。

高校演劇のレギュレーションでは1作品の長さは60分。
これを3つのメニューの組み合わせと考えます。
1ユニットがおおむね20分の計算です。
で、春・秋の発表会にはこのユニットを3本組み合わせて挑みます。
 第一部 ショートコント50連発
 第二部 歌謡&ダンスショー
 第三部 劇団ERAオンステージ2020

これを「明治座システム」と命名します!

あ、「8時だョ!全員集合形式」でもいいんですが。
種目(メニュー?)はなんでもいいんです。
ただメインはお芝居でなければならない。
ここだけは譲っちゃいけないですね。
だって、演劇部ですから!

ユニットに分割することで種目ひとつあたりの人数が少なく済みます。

小人数で稽古できるからナニかと小回りが利きます。
個人でこなせる練習は自宅に持ち帰ってやってもらう。
ユニット単独での発表機会も校内公演レベルなら比較的自由に設定できる。
1単位ユニットの上演時間が短いので複数回の公演も視野に入れて。

各ユニットに共通させるのは、

20分間で演者のデハケをなるべく多くすること。
舞台に同時に上がっている人数をなるべく少なくすること。
そして3本とも同じテーマに貫かれていること。
いぇ、制約が多いのってガイドラインがあるってことなんで、
創作の助けにこそなれ障害にはならないんですよ。
(こそ-已然形の逆接用法)

これまでのように60分かけて「おはなし」を物語るのでなく、
表現の断片をズラリと並べるスタイルです。
ジグソーパズルのようにパーツを組み合わせることで全体像が見えてくるシステム。
いわばイメージのコラージュ。
もうアンケートに「テーマはなんですか?」とは書かせない。
テーマが見えないなんてなんてあなたはおバカさん!
目指すのは脱・ドラマ演劇です。

2020年4月22日水曜日

あしたのために(その4)

=母音法=

この通信教育「あしたのために」は、
拳キチこと丹下段平さんの発案によります。
鑑別所に入れられた矢吹ジョーに、
左ジャブの打ち方をハガキで伝えました。

呼吸のコツはつかめましたか?
初めは手探りでいいんです。
なんとなくこんなかんじかな、で大丈夫ですよ。

よく演劇というと、
「わたしは滑舌が悪いからムリ~」
なんて尻込みする人がいるんですが、
もちろん滑舌がいいに越したことはありませんが
セリフの一音一音を粒立てることの方が大切かなって思います。
「一音落とす者は去れ!」(by劇団四季)という格言もありますね。

五十音表を意識的に読んだことはありますか。
ぜひ声に出して読んでみてください。
日本語の母音は「ア・イ・ウ・エ・オ」の5つです。
それ以外の音も子音と母音とでできています。

では、言葉を母音だけで発音してみましょう。
え、と、つまりこういうことです。
「はじめまして」を「ha-ji-me-ma-shi-te」とローマ字で書いてみます。
ここから母音を抽出すると、「a-i-e-a-i-e」となりますね。
「はじめまして」なら「アイエアイエ」と発音するんです。
口の形を意識してください。

それでは練習してみましょう。

1)ゆるやかなリズム
2)やさしい音
3)流れる水と、噴き上げる水

いかがですか。
うまく母音だけを抽出できますか。
1)「ウウアアアイウウ」
2)「アアイイオオ」
3)「アアエウイウオ、ウイアエウイウ」

自分でも課題を見つけて発音してみましょう。

母音のみを発音したあとに、
もとの語句を改めて読んでみてください。
はっきりとして聞きやすい発音になっているはず、です。
たぶん。
初めは手探りでいいんです。
なんとなくこんなかんじかな、で大丈夫です!

ストレッチ動画はご覧になりましたか?
外出自粛が叫ばれています。
適度な運動は大切です。

何事も信じて継続することが肝心です。
あしたはどっちだ!


2020年4月14日火曜日

あしたのために(その3)

=発声=

さて、呼吸のつぎはいよいよ発声です。
すっと吸って、止めて、細く長く吐いて、また止めて。
できるようになりましたか?

ひとつ言い忘れておりましたが、呼吸は腹式をこころがけてください。
横隔膜を下げることで肺を膨らませてください。

足を肩幅よりちょっと広めにして立ちます。
立位体前屈ぅ~のようなレベルまで曲げることはありませんが、
上体を前に倒しながら吸うといいみたいですよ。
自然と深い呼吸になるみたいです。
声の材料となる空気をたくさん体内に取り込みましょう。

カラダの緊張は強からず弱からずニュートラル。
いわゆる脱力というヤツです。
よくワークショップに参加するとやらされるんですが、
床に寝て脱力するやつですね、あれが個人的に苦手でして、ええ。
「脱力してください」って言われると、かえって力が入っちゃうんですよね。

カラダが緊張しているときには、声帯も緊張しています。
そのままムリに発声するとのどを痛めてしまいますよ。
ウオーミングアップなしでいきなり全力疾走したらダメでしょ?

というわけで、まずはじめにM音(えむおん)というのをやります。
息を細く長く吐きながら、鼻腔にM音を響かせていきます。
イメージは低音で鼻歌を歌うカンジ?
鼻腔で響かせた声はよく通ります。
リキまずに客席に届く声が獲得できるはずです。
 のどからの発声しかできない人が、
 必死に大声を出そうとガンバッてるの、
 聞いててキツいっす。
このM音ですが、お風呂に入ってる時にやるといいですよ。
湿度の高い場所でやると、のどにやさしいみたいです。

小声で子守唄を歌うのもおススメです。
赤ちゃんを寝かしつけるようにやさしく歌ってください。
小声で歌うのは童謡が適していると思います。
個人的には「赤とんぼ」を好んで使っております。
リズムは自分の呼吸に合わせてしまって構いません。
ただし音階だけは正確にお願いします。
これ、セリフ回しがよくなるらしいです。

さて、というわけで、今回の通信教育は「発声」でした。
外出できない日々が続きますが、家の中でできることをやりましょう。
あしたはどっちだ!


BGM:FOURLEAVES『ODORIKO』

2020年4月11日土曜日

あしたのために(その2)

=身体訓練=

呼吸の話をする前に、声帯について触れなければいけませんでした。
みなさんの中にはご存知の方もござりましょうが、
声帯って小さい筋肉なんですね。
だから使う前に(声を出す前に)ウォーミングアップする必要がある。
カラダ全体をあたためる必要があります。
具体的には柔軟体操ということになります。

劇団ERAにおいて柔軟体操というのは、
矛盾した言い方みたいですけど、
体を柔軟にするのが目的ではありません。
自分の体と対話するために行なうものです。
体のすみずみに意識を向けることで、
やがて意識的に動かせるようになります。
意識的に動かすことで体の各部位が協調してきます。
そしてその結果として柔軟性が獲得されるのです。

無理をしてグイグイ曲げたりしては筋を痛めます。
また、激しい筋トレも必要ありません。
それはそれで目的が別にありますけど、
私たちの演劇には無用のものです。
それらは自分の体をモノとして扱うことです。

劇団では以前から以下の動画に合わせて柔軟体操をしてます。
よかったらご覧ください。

【運動しない方も必見!MeseMoa 式柔軟体操。】

https://www.youtube.com/watch?v=FF-hiOzUCYs




2020年4月10日金曜日

あしたのために(その1)


=呼吸法=

芝居にふさわしい声を発するため、
あるいは観客の呼吸を盗むため、
まずは無理のない呼吸法を身につけること。
声を出す前に、まず呼吸。

このさい体の緊張は強すぎず弱すぎず、
ニュートラルな状態を心がけるべし。
いわゆるよい姿勢をとる。
肺からの呼気が軟口蓋にムリなく当たるようにする。

※肺臓いっぱいに息を吸いこむ。
これ以上はムリというところまで吸いこんだら、
そのまま息を止めて2~3秒キープする。
で、苦しくなる手前でゆっくり息を吐き始めるが、
この際、歯の裏側に息を当てるべし。
「ス~」と音が出てしまっても構わない。
むしろ音を出すことに気を取られないように。
ゆっくりながく息を吐く。

 たまにいるんだよ、わざわざ「ス~」って音たてるヤツが。
 嫌いなんだよ、そういう手合いがさ。
 多少かじってきたヤツに多いから厄介なんだわ。
 本来の目的を見失ってんじゃねぇよ。
 ちゃんと息を吐くことに集中しろって思うわ。

吐き切ったらまた2~3秒キープする。
苦しくなる手前で今度は「スン」っと速く息を吸い込む。
(※にもどる)


初心者はいきなり大きな声を出してはいけません。
自信ないけど、たぶんそうです。
昔の人はそれこそ、海に向かって叫んで喉をつぶして鍛えた、
なんて武勇伝を語ってくれたりしますけどね。
そうやって自分の身体をモノのように扱うのって、
ちょっと理解できないんですよねぇ~。
ムリせずに理想的な声を獲得できたほうがよくないですか?
前時代的な根性論は無用に願いたいものです。

地道かもしれませんが、この道が実は近道だと考えてください。
呼吸法を学んだ人は、あしたのために(その2)に進んでください。
入部希望者のあしたはどっちだ!

2019年11月24日日曜日

関係性ですよ

演技がうまいだとかへただとか語る資格は我々にはありませんけどもね。
そりゃあ傑出した演技力をお持ちの役者さんはそれはそれで素晴らしい。
しかしその役者さんの魅力を最大限に発揮するには、
やっぱり「座組み」=関係性って大事なんじゃないかと思うんです。

演技力なんてものは個人に備わってるものも確かにあるかもしれないけれども、
その能力を最大限に引き出してくれるのはやっぱり同じ板に乗ってる共演者です。

それじゃ一人芝居ならどうするんだって言われそうですが、
それだって音響や照明との気味合いってもんがありますから。
その芝居を成立させているスタッフも含めて、
もっと言えばその日の観客も含めて考えなけりゃいけない。
若いのに演技力がとかなんとか言われてる役者さんもいますけど、
たまたま共演者に恵まれてたんじゃないかなってことも考えていい気がします。
え、事務所の力って要素があるじゃないかって?

役者個人の演技力なんてものは幻想に過ぎないかも知れません。
肝腎なのは観客がどう受け取ったかですから。
個人の感想でありすべての使用者に同様の効果を保証するものではありません。
観客が「勝手に」感動してああこの役者は演技が巧いねなんて言うんです。
自分が感じたものの「正解」を役者個人の資質に求めて納得してるんです。
それが悪いってわけじゃないですよ。
それはそれで楽しみ方としては間違ってないですから。
役者が巧いから自分が感動したのか自分を感動させたから巧いと思うのか、
どっちがどうとか答えを出す必要もないですけどね。

女優さんをつかまえて美人だどうだって言ってるのも同じで、
それだってその女優さんがそもそも美人なんじゃなくて、
自分が持ってる美人の基準に合致してるだけかも知れんのです。
絶対的な美の基準なんて存在しないでしょ?
基準はいつだって自分の側にある。
自分が「勝手に」判断してる。
どっちがどうとか答えを出す必要もないですけどね。

演劇は総合芸術だって言われますが、
たしかに個人プレーじゃ成り立たないものです。
4番バッターだけひとりで頑張っても野球の試合には勝てません。
どこかの球団みたいに4番クラスばかり集めて打線を組んでも、
そんな試合は面白くはならないはずですがどうでしょう。
まあそれでも勝ちさえすればいいって発想なら仕方ないですが、
芝居は面白くなけりゃいけないんで。
はっ、違うんですか!?
とにかく魅力的な舞台にはならないんじゃないですか。

だから世間並みに言われてる「演技がうまい」はあてにならないと思うし、
「美人女優」という評価もこれまた胡散臭いと思っちゃうんです。

2019年6月26日水曜日

脚本を創作するうえで陥りやすい過ちがあってですね

泣いている人がいます。
仮にAさんとします。
別に怒っててもいいんですけど。
何らかの感情を抱いているAがいます。

そのAを見ている人がいます。
この人はBさんです。
BはAが泣く理由を知らされていません。
言葉を発することなくAは泣くだけです。

さて、BはAを見ているだけで、
涙の理由を諒解することができるでしょうか?
これ多分、ノーマルタイプ同士なら無理ですよね。

だからロゴスが必要になるわけです。

あ、そうそう。
そうは言ってもですね、Aが泣いている理由を、
A自身が説明しちゃダメなんです。
「ボクは今、これこれで悲しいんだよ」
なんて説明ゼリフは書いちゃいけないんです。
だってAは嘘をつくかも知れない。
せいぜいCという三番目の登場人物が、
「どうやらAはこれこれで悲しいらしい」
というのが関の山なんです。

話が逸れました。
Aがただ泣いてるだけじゃ、
その理由(背景)はBには伝わらない。
つまり、Aという役者がただ泣くだけでは、
客席のBには物語は理解されないんです。
伝えるための何かしらの作為が必要になります。
だから、役者が心を動かすだけでは、
お客さまは納得しません。伝わりません。
大事なことなので繰り返します。
役者が感情を動かすだけじゃ芝居は成立しないんです。

写真は本文とは関係ありません。

感情を重視する演技論があることを知っています。
自己の解放が大切だってこともわかります。
人の気持ちを動かすことができるのは、
人の気持ちだけだなんて言う人を否定はしません。
でもそもそも基礎がないところで、
感情だ、気持ちだ、リアリズムだと騒いでも、
客席にはそんなもん届かないんですよ。

まず俳優としての基礎「技」をある程度は身につけて、
次のステップとして感情「心」を動かす練習をする。
あるいは「技」と「心」とを同時進行で磨く。
そういう手順を踏まなきゃムリですよ。
ヘタクソな(というと語弊があるけど)役者に限って、
この「技」をすっ飛ばして「心」を妄信する。
妄信、まさに似非宗教ですよ。
信仰だから科学的根拠なんて不必要なんです。

蚊の鳴くような声しか出せない、
立ち姿だってみっともない、
視線も泳ぎっぱなしの役者(?)が、
たとえどんなに素敵な感情を持っていても、
伝える技術がなかったら芝居にゃならんのです。
ただのナルシスト演技なんです。

2019年5月15日水曜日

ミザンスっす

舞台の用語ですよね。違うんですかね。
どこのお国の言葉ッスかね。おフランスっすかね。
いゃ韻を踏んでまスからね。

まぁわが劇団ではおもに、
「空間を効果的に使ってね」という時に用います。
*使い方がヘンだったらご指摘ください。
ミザンスがとれないってぇのは、
あるいは意識しない、もしくはできないってぇのは、
劇人としてどうなんでしょうか。

自分はどの位置に立つべきか、
舞台上のどこに存在したら一番効果的か、
これを考えない役者はいません。
あるいは気にせずにいらんないのが役者ってもんでしょ。

他の役者との距離感も気にしなきゃダメです。
人と人との間には空間がありますから。
空間にはなにもないのではなく、
関係性がギュッと詰まってるのでね。
他人の、友だちの、恋人の、それぞれの距離感。

理屈じゃなくっていいんですよね、
どこに居るのが一番きもちいいか、
これで全然OKなんですけどね。
その感覚がない。
こういうのって訓練で何とかなるんですか?

人間関係も同じですよね。
他者との距離感が適正に保てない人は、
生きていくのが辛いんじゃないでしょうか。
初心者がお芝居を書くとそういうキャラがしばしば登場します。
いくらお芝居の中の架空の存在だとはいえ、
初対面から馴れ馴れしくするキャラには違和感なんです。


2019年5月6日月曜日

集客力アップの件


私たち劇団やってますんで、
劇人(げきんちゅ)を名乗っておりますが、
演劇にかかわるとか、たずさわるとか、
たのしむとか、たしなむとか、いとなむとか、
いとおしむとか、いつくしむとか、
そのスタンスにはさまざまありましてね。
学校間格差? 残酷な言葉ですね。

お芝居を観るということは、
ある意味、非日常を体験することだから、
だから、スケジュール帳に観劇の予定が、
日常的なレベルで書き込まれている、
という状況は矛盾していますよね。
(そんな金と暇を持て余してる人になりたいもんです)

それでもたくさんの人に、
演劇を身近に感じて欲しい。
手の届く範囲に置いて欲しい。
音楽を聴いたり、
小説を読んだりするように、
もっと気軽に、
ある意味で無責任に、
カジュアルに演劇とつきあって欲しい。
そのための努力は、
私たち発信する側こそが、
しなきゃいけないことだと思うんですよね。
お客さまが苦労して歩み寄るもんじゃあない。

こちらで指定した時間と場所に、
集まっていただくだけでも感謝すべきですのに、
ましておとなしく座って観てくださるなら、
ヘタクソな芝居をお見せするのは無礼ってもんです。
親しみを覚えるってか? 稚拙な芝居の方がいいのか?
だから「高校演劇」というカテゴライズは、
私たちにとっては侮蔑に他ならないんです。
ガンバッテ演るのはあたりまえなんで、
そこを評価の軸にされるのは心外なんですよ。
一生懸命な姿勢だけで褒められるのって、
馬鹿にされてるんです。
怒るべきなんです。

劇場に足を運ぼうと思っていただくことは、
もちろん容易なことではありません。
そもそもそこをどうしたらいいのか、
私たちには明確な解がまだありません。
でも、ただひとつ明白なこと。
せっかくいらしてくださったお客さまに、
二度と来ていただけなくなっちゃったら負けなんです。
自戒の意味も籠めて言っときますが、
内輪ネタばっかりやってたらいけないと思うんです。

オタク的な題材ばかり扱ってたらダメな気がします。
なにより圧倒的な稽古量と質は必須条件じゃないのかなと。
(まぁ、時間かけりゃいいってもんじゃないですがね)
演者の自己満足が見えちゃうのってカッコ悪い。
自分たちが楽しけりゃいいって考えも否定する。
リピーターになっていただくこと、
そのための工夫がなんとしても必要なんです。

舞台に立って演劇のまねごとをするのなら、
私たちにだって責任の一端はあると思うんですよね。
「高校演劇」だからって甘えていいわけじゃない。
お客さまの快適のために自分たちは苦労する、
ってそういうことです。

2019年4月18日木曜日

劇団である必要性があるんだよ

正式には「演劇部」なのです。
それはわかってます。
生徒会組織の末端として、
学校教育の一環として、
管理運営されるべき団体なのです。

しかしそれでも劇団を名乗らせていただいてます。
劇団ERAという看板を掲げ続けてます。

ウチが劇団制を敷いている理由のひとつに、
「集団性」の問題があります。
ここでいう「集団性」とは、
ある種のユルさをベースにしながら、
劇団員全員で責任を持つようなシステムのことです。
ERA芝居では、作品全体の責任の所在を、
いろんなカタチを持ち寄って埋め合わせていくんです。

脚本の創作に関して言えば、
ウチの場合は誰かひとりの天才が執筆する、
なんてことはありえません。
そもそも天才などという便利な存在は、
ウチの劇団にはおりません。
じゃあどうするか?
役者たちの熱気で稽古場の床から、
蒸気のようにゆらゆら出てきたものを、
すかさずキャッチして、
文字に起こしてゆく作業から始めるんです。

そうやってお互いに影響し合いながら、
徐々に造形していく。
ある意味、非効率的なやりかただ、
という自覚は十分ありますが、
こうでもしないとウチらの台本はできやしない。
だって、せっかく創作するのだったら、
役者のパワーを信じたいんですよ。

完成した台本だって、稽古場でどんどん変えてしまいます。
自分たちで作った台本なのに、
いざ稽古をしてみて気付くことってあるんです。
意識下で書いたような部分が必ずあるんです。

ひとりの才能ある部員(顧問?)が、
強力な主導性を発揮する演劇部を、
否定はしません。
でもウチは違う。
ただ違うとだけ言っておきたい。
メンバーひとり欠けても成立しないのが、
劇団ERAなんです。


2019年4月16日火曜日

万葉集をネタにした芝居を劇団ERAは2年も前に上演していた


万葉集が人気ですね。
新元号「令和」の出典だそうで。
ところでこの万葉集、
最古の歌集として紹介されているみたいですが、
正確には「現存する最古の歌集」らしいですよ。
知らんけど。
そりゃ万葉集より柿本人麻呂集の方が古いでしょ。
まぁ知らんけど。

で、原文はいわゆる万葉仮名で綴られているわけですが、
その中で「恋」はしばしば「孤悲」と記されているそうです。
好きな人と離れ、独りで悲しむ気持ち、、、。
この万葉集ネタは『次の電車が来るまでに』で使ったものです。
上演したのは2017年の春大会。
新人賞・創作脚本賞・審査員特別賞を受賞しています。
現在の3年生のデビュー作です。
昨今の万葉集ブームを見るにつけ、
時代がぼくたちに追いついた感じ、ですか。
知らんけど。

私たちにとっての最優先課題は、
演劇の新しい可能性を探り出すことにあります。
だから既成作品は板に掛けません。
他人の引いた設計図じゃ意味がないんです。
自分たちの飛行機で空を飛びたいんです。
当然、素人の浅知恵でこしらえた機体ですから、
失速し墜落し、大怪我することもあります。
それでもうまく上昇気流を捕まえて、
一瞬でも大空高く飛翔することができれば。
その快感のために稽古しているんです。

2019年4月7日日曜日

明日から部活動見学ですね

公演チラシのイラストは手描きです。
鉛筆で下描きしてからペンを入れます。
偉い人にはわからんのです。
スクリーントーンなんてものは所詮飾りです。

僕たちはアナログで手間がかかるものを偏愛しています。
そもそも演劇というジャンルこそ不経済なんです。
同じ時間、同じ空間を共有しなければ成立しない。
合理性だの経済性だのに重きを置く現代社会と反りが合わないのは、
これはもう性分なんです。むしろステイタスにすら感じます。
社会性からはみ出す不器用さは生まれつきの体質だから諦めるしかありません。
でもそれが僕たちの創造性と結びついているなら、むしろ誇るべきなんだ。

コピペで右から左って人に創作脚本は書けないでしょ。
ノコギリが真っ直ぐに引けない。釘の一本も打てない。
そんな人に演劇なんてできませんよ。
そんなんで演劇やってるなんてよく言えたもんです。

もちろんインターネットは革命でした。
それはかつては可能性に満ちていました。
僕たちの未来を無限に拡げてくれるはずの夢の技術でした。
しかし、やがて限界を迎え挫折する、という意味でも、
革命だったんですよ。

結局、インターネットは人間の断絶を生んでしまいました。
だってそこには無知による暴力が満ちていて、
おびただしい虚像が溢れ、同調圧力の正義が横行し、
みんなが平等に苦しむことが善しとされるのですから。
僕たちは理解し合うことはできませんでした。
そりゃそうですよ。
顔の見えていない相手を、
どうやって理解するっていうんだい?

自分のノドから発する声で、
手を動かして書いた文字で、
顔の表情、カラダの表情、
それらのすべてを使ってコミュニケーションする。
直接に手渡しするものだから非効率極まりないけれど、
まず、自分の手の届く距離にいる人に、
しっかりと伝えることが大事なんだと思う。

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次回公演のお知らせ

かしわンダーランド2019
新入生歓迎公演① 
『あなたの声をお聞かせください』
日 時:2019年4月13日(土曜日)
   13:45 開場  14:00 開演
場 所:本校南校舎2F 演劇実習室


かしわンダーランド2019
新入生歓迎公演② 
『月の雫のはづき』
日 時:2019年4月27日(土曜日)
   13:45 開場  14:00 開演
場 所:本校南校舎2F 演劇実習室

①、②ともに、お問い合わせは
お近くの劇団員かまたは演劇部顧問まで 
まずは公演チラシをゲット
演劇実習室で、僕と握手!

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2019年3月29日金曜日

宿題がおわった

今年度の秋季地区発表会でウチが上演したのは
『汚れつちまった悲しみは……』
(優秀賞を獲得しました)でしたが

ようやっと今日
その時に出された宿題が終わった気がします。
その宿題とは……
山口県の銘菓「外郎」を食べること、です。
この作品『汚れつちまった……』は
中原中也の生涯に取材した創作なんですが
彼の故郷が山口県なんです。

日体大柏の林先生(山口県出身)が仰るには
「名古屋のとは違う」とのこと。
これは気になるなる。
去年の夏からずっともやもやしていたのです。
きのう
池袋に行ったついでに
ついにとうとう
山口県のアンテナショップにて購入しました。
外郎をいただいたことで
ようやく終演した思いです。
半年越しの宿願が叶いました。

さてさて、
部活動紹介で踊るダンスは
えあろびクスによる振り付けです。
*エアロとえびのダンスユニットです。
きょうの午前中は
中庭でダンスを練習しました。

午後からは稽古場で台本解釈。
直接には台本に書かれていない部分を
みんなで補っていきます。
特に人物の掘り下げは妄想じゃいけません。
テキストに描かれている
「事実」の延長じゃなきゃダメなんです。


2019年3月11日月曜日

理由なんて必要でしょうか


たぶん、間違いない。
僕は、芝居が好きです。
演じるのも、観るのも。
同じ芝居観を持つ劇団の人たちと、
一緒にいるってだけの時間も好きです。
でも、好き過ぎて、日常生活に支障が出ては困るから、
僕はウソをつきます。

「なぜ、演劇部を選んだんですか?」
という質問に対して、

「お客さまにこの想いを届けたいからです」
的なことを言います。優等生ぶってね。
ホントは自分が楽しいから、
海馬が命ずるから、
魂が欲しているから、演劇しているんですけど。
完全に利己主義なんですけど。

あんまり本音を素直に出しちゃうのは、
それってちょっと演劇的じゃないな、と思うんですよね。
カッコ悪いなぁ~ちょっとぉ、と。
そんな風に思っちゃうわけです。
ウソをつくのがカッコいいかどうか知らんけど。

「演劇、たのし~よ~」なんて、
無邪気にうなずけるいい子にはなれないよね。

ところで、いまさらなんですが、
激辛ブームが二松にキテるという噂。
わざわざ‟激辛”と表示されたカレーパンが存在します。
学食には「タバスコ」と「七味とうがらし」が常備。
そのうち購買に「辛辛魚」が入るんでは?と密かに期待しています。
冒頭の画像は「花椒香るシビ辛ラー油味」の柿の種です。

BGM:Team Syachi「enjoy jinsei」

2019年2月27日水曜日

協議会にいってきました


先日(2/20)、県立松戸高校で、千葉県演劇部の顧問研究協議会が行われました。
講師の先生は、青年団の林成彦先生です。昨年度の東金研修に参加した人はおわかりになるはず……。
「協議会」と聞くと、講師の先生の講演を聞いたり、顧問同士で話し合ったり……というイメージがあるかもしれませんが、今回の持ち物は動きやすい服装
会場になった県立松戸高校の演劇実習室は、水場もあり、姿見のガラスもあり、音響照明卓もある広い部屋で、10時から昼食をはさんで15時過ぎまで、エチュードやグループ創作を行いました。
午前中は体を動かし、声を出し、休憩なしに動き回りました。
午後のグループ創作ですが、グループでつくったものをそのまま発表……というわけではなく、最終的には演出家なるさん(林先生)の指示を仰ぎます。
まさかの演出家からの指示に、現場は右往左往。
そうして出来上がった作品は……どんなものになったのかは、皆さんのご想像にお任せします。

  

これはその時の演出家の指示の一部です。
どんなことが書かれているのか気になる……!という人は、ぜひ来年の東金研修会へ!?


そして19時からは舞台研修会です。
銀座博品館劇場で堤泰之作・演出の「泪橋ディンドンバンド3」を観てきました。
平日水曜日の夜公演なのに、客席は女性のお客さんでいっぱい!
グッズ売り場も大盛況でした。
あらすじが気になる人は、どうぞ公式HPへ。
作品はシリーズ物の三作目だったのですが、初めてみてもわかりやすく、あっという間の90分でした。
普段なかなか都内まで出て観劇をする機会もないので、貴重な時間でした。
このように顧問もたまには勉強をして、それを普段の稽古で生かし……ております!

本校はただいまテスト前。
劇団員は鋭意勉強中です。
がんばっていきまっしょい!