1.劇団結成前夜
劇団ERAが産声をあげたのは、2002年(平成14年)春・4月のことです。そのころはまだ演劇同好会でした。前顧問から引き継いだ生徒たちは前年度末に全員卒業してしまい会員はゼロ。新入生が入ってこなければ自動的に休会。そして他校の演劇部のいくつかがたどったのと同じように、廃部(廃会?)という道を進むはずでした。
予想は裏切られます。部活動紹介で、同好会の紹介をしたところ(生徒がいないので顧問が新入生全員の前でアピールしました)、その日のうちに女子が数名、話を聞きにきてくれたのです。とりあえずは9月の学園祭を目標に、基礎から稽古を始めようということになりました。そしてこのとき、「劇団」を名乗ることを顧問が提案。その名前をみんなで考えました。正式名称(学校名だけで14文字!)が長いということもありましたが、劇団を名乗ることで団結を強めようという狙いです。初代会長は強く「劇団パンツ」を推していましたが、さまざまな候補の中から現在の「劇団ERA」に決定しました。
2年目には11名を抱えるようになります。しかし、本校では同好会が対外試合に参加することは認められていません。高文連主催の発表会に出場するため、この人数で1年間しっかり活動した後で、部活動への昇格を申請し、2004年(平成16年)から正式にクラブになりました。
2.脚本を創作する理由
旗揚げ以来、劇団ERAは、創作脚本を専門に上演する劇団として活動してきました。代々の劇団員たちは意欲的に創作を続け、そのための手法がその都度模索されてきました。地区発表会でも創作脚本賞をしばしばいただいています。旗揚げ数年後には、音響や照明などのスタッフワーク関連の賞もいただけるようになりました。さらに、準優勝である優秀賞までもいただけるようになりました。当時から他クラブと比べて必ずしも環境に恵まれない中で、これらの賞に輝けたのは、ひとえに芝居への一途さが評価されてのことだと思います。
ところで、本題に参ります。劇団ERAが創作脚本にこだわり続ける理由です。
まず手っ取り早く既成の作品から面白そうなものを探すとしましょう。書店に出回っているプロの作品は、他の著作物に比べてまずその冊数自体が多くはありません。幸運なことにその書店に戯曲コーナーがあっても、そこに置かれている数少ない作品は、いずれも高校生が上演するには難しいものばかりです。それでも妥協して自分たちの『本当の欲求』をごまかしながら上演するか、まったく著作権を無視して(オイオイ)自分たちの好きなように変形した形で上演するか。いずれにしろ、どこかチグハグでぎごちないものになりがちです。
ネット上に公開されている台本もありますが、それらは台本に似せて書かれてはいても、月並みな設定と型にはまった登場人物が都合良くあらすじを追うだけで、正直面白いと思えない。そのままでは上演不能なものが多い。私たちの能力のせいではありません。舞台の文法、つまり、舞台ではどんなことができるのか、あるいはどんなことをしてはいけないのかがわかっていない。そもそも使い物にならないものが多い。
それでも早く台本を決めなければ!大会の日程は迫る!なんとかならないのか?じゃあ創作脚本だ!自分たちのオリジナルだ!という選択になるわけです。
3.オリジナルだからこそ
劇団ERAが取り扱うテーマは、多岐にわたります。初期のころはSF色の濃い作品群を続けて発表していました。「不登校」や「イジメ」を扱うことがどうも苦手らしいです。現実にそういった問題に直面して苦しんでいる人たちがいるのに、それを題材にするってことが、苦しくってならないんです。まして60分の制約の中でその問題が解決しちゃうなんてお芝居を見てると、そりゃねえだろ都合よすぎねえかって思っちゃう。なにより自分たちがお客さんだったらどういうお芝居を観たいんだろうか、というモノサシで考えれば、やっぱり気が滅入るのは勘弁なんです。考えさせられるのはいいんですけどね。一方で既製の演劇理論に塗り込められた作品も、頭でっかちで苦手。理論をひけらかすためのお芝居を演るつもりはないんです。本末転倒ですよね、それって。誰かによってすでに高く評価された作品、まぁ具体的には全国大会で上演された作品なんてもってのほか。自分たちがわざわざ演じる義理はないですよ。よいこのJISマークがついた作品は他校さんにお任せします。他人の手垢のついたものになんか興味はありません。なにより自分たちが面白いと思えない作品は絶対に板にかけません。オリジナルだからこそ、自分たちがやりたいようにやるのです。これが絶対的な価値基準なのです。