この考査を乗り越えたら、土曜日から稽古再開です。
わが国で勅撰漢詩集といえば『懐風藻』が嚆矢ですよね。
帝王(つまりは天皇ですね)の意を承けて編纂されるのが勅撰集です。
『懐風藻』はわが国最初の勅撰による漢詩集です。
近江朝・奈良朝の、皇子と氏族たち64人の手による漢詩作品120編が収載されています。
わが国では中国をお手本とする時代が永らく続いていました。
当時の貴族たちにとっては中国の文化を「まねぶ」=「学ぶ」ことが至上命題だったわけですな。
何事も模倣から入ってみる。モノマネでこなしてみる。
完全にゼロから出発するなんてナンセンスです。
すでにあるシステムで回せるところはパクればいいんです。
伝達手段としての言語をゼロから造るのなんて非効率的です。
菅原道真が遣唐使の廃止を建議したのは西暦894年のこと。
実際、そのころすでに唐は内乱などにより衰退していました。
907年には滅亡を迎え、五代・十国という混乱の時代を迎えます。
そしてそのころわが国では華やかな王朝文化の華が開いていたのです。
最初は真似でもいいんですよ。
好きな劇団の芝居を完全コピーしてみる。
お気に入りの俳優の芝居を再現してみる。
自分たちのスキルアップが目的ならいいんですよ。
でもそれは稽古場での練習の中で終わらせるべきなんだ。
問題はそのあとなんです。
模倣した技術なり思想なりが、身についていなかったらダメなんです。
これが「自分たちの芝居です」って嘯けるぐらいにしていかなかったら
意味がないと思うんです。
プロの演技や演出をそのままコピーしてみせたって
ちっとも偉くない。
ちっとも感動しない。
モノマネを衆目に晒すのは止めた方がいい。
所詮はオリジナルを超えられるはずがないんですから。
これはモノマネですと「芸」として披露するなら別ですが。
模倣に過ぎないものを「これが自分たちの芝居です」と言ってはイケナイ……
んじゃないかな。
なぜ国風文化の確立を目指さないのか?

(出典:世界の歴史マップ https://www.sekainorekisi.com/)
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