2018年8月29日水曜日

羊の歌

おとなたちが私たちをどうしたいのか、
わからないけど、ええじゃないか!
(from『JANAICA』)

そもそもおとなたちは何のために「高校演劇」を支援したんですか。
そこが論理的に説明できたとしてその論理はいつまで有効なんですか。
スポンサー様のご厚意に甘えていられるうちはいいんです。
でも、その後のことも見据えて次の一手を指す必要があると思うんです。

正直なところ、高校演劇というコンテンツでは、
もはや勝負できないと思っています。
なるべく早い段階で冠から外して欲しいんです。
高校演劇の発表会というスタンスでは駄目なんであって、
文字通り「パレード」にしなけりゃいけないんです。
そういう意味を籠めた名称なわけで、勘違いしてほしくないんです。
このプログラム全体でひとつのパレードなんです。

だって、演劇に多様性がなけりゃ息苦しいでしょう。
某地区発表会じゃないんですから、
演劇とはこういうものだという括られ方をするとすごく苦しい。
まして「高校演劇」というカテゴライズを、
世間様に植え付けてしまうのは最悪なんであって、
むしろ、あれも演劇これも演劇という、
細分化というかサブカテゴリーの多様性を、
アピールできなけりゃいかんのですよ。
戦略的なことも含めてね。
それが実現できているのが「高校演劇」なんだということを、
あとから意識してもらえればいいわけです。

ちょっと考えればわかることです。
一本の芝居をオールレンジで考えるんじゃなくて、
つまり色々な人に届かなくてはいけないと考えるのではなくて、
たとえば100万円の資金援助があったとして、
出資者全員が納得する芝居を創ることはとてもできない。
そんなに薄く広くしたら演劇の意味がありませんよね。
だったら1000円出す人を100人納得させる芝居を、
10本並べりゃいいじゃないですか。
メニューがたくさんあれば一つひとつは偏ったまま、
ちゃんと尖ったままで分散できるじゃないですか。

「高校演劇」のラベルを貼り付け続けますか。
たまたま演じているのが高校生の演劇部だった、
こりゃ驚いた、彼らもやるもんだね、じゃだめなんですか。

こちらも用意しなきゃならんのです、
演劇本来の鋭さやどぎつさや狂気を!
見る者の神経を逆なでするような、
ヒリヒリするものが潜んでいる芝居を!
よゐこのJISマークなんて不要!
それだけの覚悟がウチらにもなかったら駄目なんです。
なんだかよくわからないもの、それがアートじゃないのかい?

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