
なぜ劇団なのか?
なぜ創作なのか?
人というものは、永久に恐ろしい孤独である。
原始以来、神は幾億万人という人間を造りたもうた。
けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかった。
人は単位で生まれて、単位で死ななければならない。
とはいえ、
われわれは決してぽつねんと切り離されてはいない。
実際は単位と単位との間に共通を有している。
この共通を発見し共有していくことによって、
永久の孤独を免れることができる。
肉体は永久に共通しないが、感情は共通する可能性を持っている。
演劇は共通を共有する試みとして有用である。
役者と役者の間に共通を発見するための仕組みが、
われわれの「劇団」というシステムなのであるし、客席との間に共通を発見するための手段が、
われわれ自身のことばで脚本を創作することなのである。
すべてのよい劇には、
理屈や言葉では説明できない一種の美感が伴う。
これを劇の「におい」という。
においは劇の主眼とする陶酔的気分の要素である。
したがってこのにおいの稀薄な劇は価値が少ない。
演劇の目的は単に情調のための情調を表現することではない。
もちろん幻覚のための幻覚を描くことでもない。
同時にまたある種の思想を売り込むためのものでもない。
演劇の本来の目的はむしろそれらのすべてを通じて、
人心の内部で脈動している感情の本質を凝視し、
それを増幅した形で取り出してみせることである。
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