連中はまだ何もわかっていないからね。
あ、それ以前にまだ誰も何も教えてないんだっけ、、、。
そもそも何が要請されているのかがわかってないでショ。
二松柏の演劇部がどこをめざしているのかを、
これから体得していってほしいよね。
いや、頭で理解するだけじゃなくね、うん。
ウチは「劇団」だからねぇ。
劇団を名乗るからには、劇団員全員が同じ方向を見てないといかんのですよ。
演劇ってものに対する共通理解というかね。
だから年末のHTFでお姉さま方に登場いただいても、
一緒の芝居を違和感なくできたんですよ。
お姉さまと同じ板に乗って目線もらって間近で芝居を見れたって、
キミはしあわせモノじゃぞい。
ウチは創作しか板に掛けないから、
その脚本に対する共同幻想が生まれにくいんですよ。
まぁ既成の脚本なら、うまくいけば映像が出回ってるでしょ。
それみんなで見れば「あぁ、そういうことね」って、
プロの役者さんの、それこそ模範演技見ればいいんだよね。
そいつをモノマネするかどうかは別として、
(してないつもりでも似ちゃうでしょうけど)
「正解」が存在してるんだから、まぁ楽だわな。
でも創作だとそういう「正解」がこの世に存在していないから、
自分たちで探すしかないんですよ。
その時にですね、その脚本に入り込めない者が一人でもいると、
一本の芝居としての筋が通らなくなる。お客さんに差し出せるようなものじゃなくなる。
だから劇団員全員が同じものを見ていなければならないんです。
舞台の隅にじっと座って何もせず、
「これがウチらの演劇です」と言い張ることも可能?ですが、
あんまり面白いとは思えませんね。個人の意見ですが、、、、。
演劇には何らかの「作為」は必要です。
しかし、作為的=嘘じゃ困るんですよね。
嘘くさい芝居ってイヤなんですよ。これもあくまで個人の感想ですが、、、、。
リアリズムは必要ありませんが、リアリティは重要なんです。
千鶴さんもそう言ってますから間違いないです。
じゃあリアリティのある芝居って、、、?
ふふん、そいつを身につけるために稽古するんでしょ。
やわらかなこころを持たなければ芝居なんてできゃしません。
自己の解放がだから必要なんですよね。
偏ったバランスの人は、類型的な役しか演じられませんから。
そこがクリアできなけりゃ舞台には上げません!
キッパリ!
BGM; Tokyo Incidents 「Mirror-Ball」
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