2021年4月5日月曜日

他山の石なら砥石になるんだが

自分が見たいのはどんな芝居か、を考えることは、

同時に、どんな芝居を板にかけたいか、ということにつながります。

自分が見たいとも思わないような芝居には、

板にかけるだけの積極的な動機は、どこにも存在しません。


見ていて嫌ぁ~な気持ちにさせられるのはどんな芝居か。

まぁ、あくまで私見ですがね、ちょっと考察。


まず、自己の内面が~とか、描きたいのはわかりますが、

主人公がグジグジ悩んでる姿を「延々と」 見せられるのはどうもねぇ~。

いつまでも怒ってたり、泣いてたり、情緒がどうにかなっちゃってるんじゃないか?

そんなんが舞台に出てきて、そんな姿をず~っと見せられ続けたら、

まじめな観客ほど疲れてしまいますよ。

テーマとしてはわかるんです。

アイデンティティの危機はテーマとして大事。

問題は見せ方というか、料理の仕方というか、なんです。

「見せる」のではなく、どうしたら「伝える」ことができるか、

考えて欲しいんですよね。

あまり客席を馬鹿にして欲しくないって思うんですよ。

「俺はいま、悲壮感に苛まれているんだ」って語らせるのは、

脚本家がバカなんです。

ギャグだったとしたらアリなんですけどね。

ま、全然おもしろくないですけどね。


それと、これも私見ですが。

メタ発言も多少なら我慢しますが、あまり繰り返されると疲れますね。

楽屋オチみたいなネタは、ぶっこまれるとシラケるだけです。

観客の一部だけが盛り上がってるのって、嫌じゃありません?

作者に関する発言だったり、演じる役者さん個人についての発言だったり。

ましてそのカンパニーの先行作品のネタだったり。

おいおい、みんながみんな、あんたんとこの前作を観てるわけじゃないんだぜ。

知らねえ~っつうの。(ホントは知ってるけど)

ファンサービスのつもりでやってるとしたら、それは間違いだろと。

おいてけ掘を喰ってる人は、嫌ぁ~な気持ちになってるんですよ。

ここまで忠実に物語世界を楽しんできた観客に対する、

それは紛れもない裏切り行為なんだっていうことに、

いい加減、気づけよ。


でもまぁ、こういうトコで愚痴ってたって、界隈は変わらねえんだろうな。

以て他山の石とすべし、であるか。



2021年4月1日木曜日

脱・ドラマ演劇について

バイストン・ウェルの物語を、
覚えている者は幸せである。
心豊かであろうから。


「脱ドラマ演劇」について。
ドラマは演劇の可能性のひとつにすぎないと考えます。
可能性の選択肢でしかないにも関わらず、
私たちは「物語る」構造を盲目的に選んできました。
まだ観客であったころ、やはり舞台では「物語る」演劇が展開されてました。
見事にインプットされちゃいましたね。
演劇かくあるべしと思いこんじゃった。
最初に見たものを親だと認識しちゃった。

しかし、メディアが度外れて肥大化している現代において、
演劇とはドラマを語るものだ、と規定してしまうことは、
世界を狭くしてしまう。息苦しいものにしてしまう。
そこで「物語らない」演劇の手法を考えようと思います。

しかしそれは言葉を否定するってことじゃない。
むしろ言葉の持つパワーを今まで以上に重視します。
言葉が元来孕んでいる音楽性や身体性を信じます。


ところで、発表機会なんですが、
地区発表会というものが開催しにくくなっている状況で、
ここはやはり校内公演の充実を考えねばなりません。
しかし、窓を開放して換気しながらということだと、
暗転は演出として使えません。
それどころか、照明効果そのものがそもそも思うようには使えない。
お客さんだってこれまでのように詰め込むわけにはいきません。
場合によっては教室ではない場所での発表も視野に入れなければなりません。

そもそも教室をブラックアウトしたところで、
演劇的な意味からはそれって無ってことでして、
わざわざゼロにすることが果たして得策なのか、
よく考えなければならないと思いますね。

これも演劇には「完全なる闇」が必要だ、という思い込みなのでしょうね。
私たちはおかげさまで、
農村歌舞伎の舞台だったり、
かしわンの野外劇だったりを経験しています。







2021年3月31日水曜日

なんでもかんでも説明すりゃいいってもんじゃないよね

弊社の『でぃすたんす』は、

ぜんぜん「動く」じゃなかったっすね。

かしわンのテーマはガン無視でしたね。

平和のほうに軸足を置いちゃいましたから。

前日に開催された柏市のイベントのほうに、

まぁ寄せちゃったんですね。


いいわけしていいわけないだろーけど、

孵化する前のひよこちゃんが殻の中で蠢くみたいな。

そういう意味でなら「動く」でしたけど、

それじゃあ物語のテーマじゃないんでね。

なんだか4地区として「動く」になった感じですか?


じゃあお前らは「平和」を描ききったのか、

と、問われると雀の卵ほどの自信もないのですが。


橋田壽賀子さんのことは崇敬しておりますが、

「家事をしながらでも耳で話を追えるように」

という工夫が凝らされた長ぜリフは、弊社では禁じ手とされております。

やっぱりテレビと舞台の違いですね。

セリフでの説明に落とし込まない。

状況を表したいならキャラの行動で。


弊社の伝統というか、ヘンなこだわりなんですが、

「平和」がテーマだったら、

「平和」というワードを使いたくないんすよね。

なんでもかんでも説明することが ださい と思っていまして。

まぁ世の中的には流行ってるっていうかそうなってるっていうか、

説明過剰がデフォルトになっちゃってますよね~。

語られない部分を楽しむ人が少なくなってきてる。

それは良くないことなのではないかと。

なんか庵野さんも似たようなことを言ってましたね。


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橋田壽賀子先生におかれましては、

2021年4月4日、急性リンパ腫のため静岡県熱海市のご自宅で逝去されました。

生前の功績を讃えますとともに、冥福をお祈り申し上げます。

2021年3月21日日曜日

動画撮影中







昨夏、開催が予定されていた「かしわンダーパレード2020」は、

他の多くのイベントと同じように、新型コロナの影響で中止となりました。

そのリターンマッチがついにきょう、実現されました(拍手)。

全国的に見てもこういったイベントの復活には

まだ時間がかかりそうな中での開催です。


実は、ここに至るまでの道もまた、平坦ではありませんでした。

緊急事態宣言、時短要請、新生活様式、etc……。

いろんな立場の人のいろんな言葉が飛び交い、

誰のどの言葉が信じていい情報なのかがわからない。

そして、正確な情報かどうかを見極めるための情報が、

これまた正確かどうかわからないという、

カオスな状態になっています。


それでも、かしわン実行委員は、

代替イベントの開催に向けて動き出しました。

メンバー全員が忙しい時間を割いて、

月一回のリモート会議を重ね、開催を模索してきました。

これまで五ヶ所だったステージを一ヶ所に絞り、観客を入れず、

しかも配信で披露することになったのは、ほんの数週間前のことです。

さまざまな人の力が結集して成り立ったイベントです。

感謝の気持ちを忘れてはいけませんね。



ちなみに今回の上演で、

し~ぷが三年連続かしわン出場を果たしました。

もちろんかしわン史上初ですよ。