2016年5月25日水曜日

女神降臨!満を持して

ちょっとアップにしすぎました
稽古がようやっと動きだしました。
少しずつではありますが、
混沌の中から次第に「物語の形」が立ちあがってきました。
流れを整理したらすぐに場面の作り込みです。

そんなさなか、今日はぼんが遊びに来てくれました。
(写真の手前側の人物が彼女です。奥は照明スタッフの2人)
先日、悲願だったCDデビューを果たしたそうで、
今日はその告知も兼ねての降臨です。

ぼんは何年か前に部長を務めた劇人です。
昨年度秋の『REVANCHE!!』にも来場してくれました。
初演でマリリンを演じたのがこのぼんです。
現在は保母さんとアイドル活動で多忙な日々を送っているそうな。

さてさて・・・
今回の芝居を造形しながら思うことがあります。
毎度毎度、台本を創作しているくせに、こういうこと言うのもなんですけどね。
やっぱり台本なんてものは、所詮「設計図」に過ぎないのだな。
戯曲の時代は終わった、舞台に必要なのは、ぱりっと揃った役者体(でしたっけ?)なのだ。
と、いうことを実感しています。
台本が、文字通り「本」(つまりは紙媒体)の形で存在していると、
どうしてもそれが「聖典」になってしまいがち。
役者は一言一句それを憶えようとし、そこに多くの時間が割かれることになる。
結果としてできあがるのは、台本に縛られた、非常に窮屈な役者の芝居です。
だからやはり、創作の過程でどんな経路を辿るにせよ、
最終的にはテキストから離れることが大切なんですね。

明日は体育祭のリハーサル。晴れるといいですね。
それでは、がんばっていきまっしょい!

2016年5月21日土曜日

活動再開!

中間考査も本日が最終日。午後から活動再開です。

が、しかし。
緊急事態です。

春大の開催がただでさえ早まっているうえに、
1年生の動きが鈍かったため、台本が完成していません。
いや、構想はあるんですがね。
辛うじて今回決定しているのはタイトルだけ。
『パスワードはゼロ』。

劇団ERAの創作脚本は、いつだってアテ書きです。
新人さんたちのポテンシャルを見極めないうちに、考査期間に突入したのは痛恨でした。

で、時間のない中で思い切っての賭けに出ます。
口立てという手法を用いて、芝居を完成させます。

うまくいく保証はありません。
しかし、やるしかありません。

今日からは日曜返上でノンストップです。
春大まで、がんばっていきまっしょい!

2016年5月5日木曜日

子どもの日ですが

世はまさに大型連休ですね。
ご家族でお出掛けの機会も多いと思います。

そんな折、フと訪れた店の有線放送から、
聴きなれた曲が突如として流れてきた、なんて経験ありませんか。
あれ、このイントロ?といった感じで耳がひょっと奪われてしまう。
それも絶妙にマイナーな曲だったりするといけません。
現実の中にあって現実に引き戻される、とでもいいますか。

これと似たようなことがお芝居の最中にも起こり得ます。

演劇では、その場の状況や人物の心情などに合わせて曲をかけます。
これをミュージック・エフェクト(ME)などといいます。
このMEの選曲には、本当に気を遣います。

たとえば、
誰もが知っているお馴染みの曲には、お客さまそれぞれの印象がすでにあって、
いやな言い方ですが、手垢がついていて使いづらい。
よほど特殊な場合でなければ採用されることはまずありません。
(あくまで劇団ERAの場合です)

BGM:Team Syachihoko 「Chérie!」

2016年5月1日日曜日

創作の方法②

われわれが台本を創作するうえでの基本的な考え。
特にセリフの作り方について常に心掛けていること。
それは・・・『人間は本当のことを言わない。人間はウソをつくものだ』
ということです。

現実の生活で誰かに本音を話すなんてことありますか?
そう、そんな機会はそう滅多にありませんよね。
いや、もともと自分の本音がどこにあるのか、
当の本人にだってよくわかってなかったり。

人間が発するすべての言葉は、必ずどこかねじれている。
本人が「これが僕の本心だ!」と勢い込んでみても、
言葉にはおのずと限界というものがございますしね。
どんなに近似値を探ろうとも、自分の本心を言い表す「これだ」という言葉には
なかなか出逢えるもんじゃありません。

決して直球ストレートは投げられない。
どうしてもナチュラルにカーブがかかってしまう。
言葉はさらに、それを受け取る人間によりさらにねじ曲げられる。
バイアスがかかった解釈が、誤解を孕んだ次の言葉を生む。

劇団ERAの芝居のセリフは、そんな現実に合わせて作ってあります。

でもって、そんなふうに仕組まれた台本を、あーだこーだするのです。
役者はその瞬間の状況に合わせて登場人物の真意を計算します。
セリフの表面には露出してこないものを透視します。

即興性を重視する考え方も存在しますが、われわれはその神話は信じない。
神経を研ぎ澄まして役が憑依するのを待つ、というのはやはり無理がある。
少なくともお客さまに「ご覧いただく」という立場の人間がすることじゃないと考えるのです。