2020年12月26日土曜日

創作ならなんでもいいってわけじゃない

前回の年内最終宣言、やはり裏切りました。


演劇部員に告ぐ。

次回公演の脚本を鋭意執筆中であろう。

然しその前に、弊社の企業理念について申し述べましょう。

ご存知のように劇団ERAが板に掛けるのは自社制作の演劇台本に限ります。

が、ERA謹製であればなんでもいいってわけじゃありません。

よろしくない脚本はコンペで容赦なく却下します。


最低限セリフは意図通りに届いてほしいんです。

もちろん役者は、そのための努力をちゃんとしなきゃダメです。

声が小さかったり滑舌が悪かったり、

それでもいいんだそれが自分らしさだっていうのはナシですよ。

努力という言葉がダメなら工夫と云ってもいい。

役者の自己満足で終わってはダメだと思います。

お客さまの快適のことを第一に考えてください。

セリフが聞きとれないのって、かなりなストレスでしょ?


意図した通りにセリフが届くように、

脚本の段階から配慮してほしいんです。

セリフのすべてに計算を施してほしいんです。

舞台は日常の延長線であってはならないと思ってます。

「静かな演劇」というものがありますが、

あれだってよっぽど計算されつくしてるんですよ。

教室で友だちとするフッツーの会話をそのまま書いてはいけない。

そんなの高校演劇にでもやらせときゃいいんです。

 

言葉として卑俗なもの、生活感が出すぎるものは避けましょう。

たとえば<スマホ>というワード。

LINE>とか<既読無視>とかにも、抵抗を感じましょう。

だって、自分たちの創造物には美しくあってほしいじゃないですか。

というか、もっと客層を意識しましょうよ、という。

そういう限定的な言葉って、想像の余地がないでしょう。

ターゲットというか、対象とするお客さまの人数が減ってしまうし、

なにより表現の幅が狭くなってしまいます。

iPhone持ちで、LINEやってて、既読無視されるひと、限定になっちゃう。

そこに当てはまる、ちょっとのひとにしか刺さらなくなっちゃう。

だから避けなければならないと思ってます。


そういう意味で云っても、内輪ネタは絶対にやっちゃいけないんです。

お客さんがみんな同じムラの住人じゃないことは肝に銘じるべきです。

CMネタを延々と垂れ流しする舞台がありましたが、

あんなの木戸銭を取ってまで見せるもんじゃないですよ。

演者と観客に共通する文化ってCMしかないのかって、

寂しいというか、送り手の意識の低さに呆れますわ。

みんながみんな同じ文化的背景で生きてるわけじゃない。

そういうのを入れた途端に、その芝居は下品になるんです。


BGM:Newspeak「Jerusalem (Acoustic Session)」

2020年12月23日水曜日

冬期休業中の課題

12月の更新も滞ってしまいました。

2020年の活動日誌もこれが最終です。

たぶん。

本日、「柏二番街時計」の撮影に参りましたが、

肝腎の撮影風景の写真を失念しておりました。

せっかくのブログネタでしたのに惜しいことをいたしました。

今回も午後二時の枠を頂戴することができましたので、

柏へお立ち寄りの節は、午後二時を目掛けて、二番街にお越しくださいませ。


さて、表題にございますとおり、部員には冬休みの課題が出されております。

三月に控えております公演のネタ出しでございます。

こちら例によって学外での公演です。

校内公演をないがしろにしているわけではありませんが、

実情として学外での活動がメインになっていることは確かです。


この公演ですが、20日の公演と21日の公演とは、そもそも別の企画です。

20日「平和Kyo演」@柏市民文化会館小ホール

21日「かしわンダーパレード」@パレット柏ほか

ただ、弊社の現在のポテンシャルを考慮いたしまして、

今回は両日同じ演目でご機嫌を伺おうという次第でございます。


とはいえ、やはり別企画ですので、要求されているテーマが異なります。

20日は「平和」で、21日は「動く」です。

想定される客層も異なります。

前者は比較的アダルトな層。後者は高校生が多くなりそうです。

しかも、ご時勢柄、自由入場というわけにはいかんでしょうな。 

与えられている時間が、双方ともに20分なのは幸いでした。


ウチの演劇部には天才などおりません。

みんなで知恵を出し合って脚本を創作します。

エチュードを繰り返しながら、稽古場にユラリと立ち昇る蒸気(ゆげ)を、

すかさず割り箸で絡め取り、形にしていきます。

今回もまた同じ手法で創っていきます。

がんばっていきまっしょい!

BGM:Newspeak「24/7 What For」

2020年12月3日木曜日

次回公演がすごいことになってる

 今日は臨時休校です。

東武野田線がストップしたもようです。

あ、そもそも期末テスト前なので、部活動はありません。

 

久々の更新です。

ここのところなんやかんやで、

忙しさにかまけてサボっておりました。

そうそう、先週は県大会もありました。

 

今季、私たちは県大会どころか、地区大会にも出場しませんでした。

いいえ、出場したくても、できませんでしたといったほうが正確です。

新型コロナの影響で、思うように部員の獲得ができず、

新入部員はいまだに2名。

先行き不透明なまま、実はいまだに活動はだましだましです。

あるいは、おっかなびっくりです。

 

しかし、そんななか、県大会が開催されたんです。

しかも本校からほど近い、柏市民文化会館で。

http://www.kashiwa-sbk.com/

感染症対策に万全を期して、無観客での実施でした。

(スタッフもキャストも当然マスク着用です)

年明け1月には、ここで南関東大会が開催されます。

 

これは私たちにとっての福音になるのでしょうか。

このまま「だましだまし」でもいいから、

新しい生活様式に合わせた上演形態でもいいから、

演劇を発表する機会が得られるのなら。

 

劇団ERAとしての次回公演が決まっています。


2021/3/20()「平和Kyo演」@柏市民文化会館小ホール

2021/3/21()「かしわンダーパレード」@パレット柏ほか


すごいことになってます。

「平和Kyo演」は、柏市から機会をいただきました。

柏市の平和都市宣言35周年を記念しての催しです。

「かしわン」は、中止になった夏の野外演劇祭をこのタイミングで。

柏二番街商店会のバックアップをいただいています。

20分程度の創作作品を上演する予定です。


しかし、演目はもちろん、出演者も確定していません。

むしろ、出演者を絶賛募集中なんです。

キャスト2名では、サビシイではありませんか。

せっかく与えられたチャンスです。

本校の1年生で、部活動に参加し損ねた人はいませんか。

2学期の成績が出てからで構わないですよ。

入部するタイミングを逃してしまった人で、

かつ、成績に不安のない人。

一緒に演劇作品を創りませんか。

演劇部顧問まで、ご一報ください。

2020年9月28日月曜日

今日の講義は「作劇法①」です

映像向けのシナリオ術なら、書店の棚にたくさん並んでいるのですが、
演劇の脚本についての指南書というのは、まずほとんど見当たりません。
それでも何冊かの良書を探り当て、
十何冊の中から、最大公約数を弾き出しました。
(遠回りもずいぶんしましたけどね、うん)
今日の活動は「作劇法」です。しかも「①」です。
「②」は明日やる予定です。
今日の講義で使った資料を以下に掲載します。

大前提としてなぜ演劇なのか
そもそも、その物語を物語るのに、
演劇が最適の表現手段であるかどうか。
この部分をきっちり考えなければならない。
そもそも舞台というものは時間も空間も制約だらけなものである。
こんなガンジガラメの手法をわざわざ選ぶ意図がどこにあるのか。
それでもなお演劇という手段が有効であるか。
映画の方がいいんじゃないのか。
漫画やアニメーションの方がいいんじゃないのか。
小説の方がいいんじゃないのか。

創作脚本というもの
定義づけが間違っていたら済みません。
「戯曲」というのは上演不可能であっても構わない、
いわゆる文学として位置づけられるもの。
でも、われわれが創作するのは「脚本」である。
「脚本」は上演のための素材、設計図のこと。
あくまで上演することが目的だから、
カンパニーの中で共通理解が得られれば、体裁など関係ない。
そんなもんにはこだわらなくていい。
こだわるのは、そこじゃない。
大事なのは、書かれていることが舞台上で実現できるかということ。
技術的に無理だったり予算的に無理だったりしないか。
場所や時間、人数的な制約はないのか。
倫理的な問題もクリアする必要がある。
ところで、舞台上では何が無理なのか、
何が可能で何が不可能かを知る必要がある。
逆に言うと、不可能だと思われていることをやってのけること、
それは演劇の可能性を拡張するということである。
このチャレンジをしない若い人たちが多いよね。
もちろん禁忌にはそれなりの理由がある。
ヘタに破ってしまうと、そのホールに出禁を喰らう。
遵法精神に則って、逸脱できるところはおおきく跳ねる。
劇団ERAが毎回のように演劇実験を試みるのは、そのような理念による。

登場人物の典型がある
観客が感情移入しやすい人物を造形する。
高校演劇においては主人公はやはり高校生がテッパン。
登場人物はその親、教師あたりか。客層に合わせる。
主人公が成長(変化)する過程を描くのが物語である。
主人公は何かを喪失している必要がある。
というか、人間なら誰でも不完全なところがある。
本人の性格的な欠点でもよい。
たとえばやさしさが欠けている。
取り巻く環境に欠けたところがあっても良い。
たとえば平和が欠けている。
これを完全なものに回復するために主人公が動く、
その過程に物語が生まれる。
主人公の行動の動機は、ひとつでなくとも構わない。
主人公が物語を通して一番大きく成長(変化)する。

リアルなものはグロテスクである
大衆の耳目を集めるエピソードというのは非日常の中にある。
のほほんとした日常には興味深い刺激的な事件は起こらない。
しかしながら、リアルを舞台で再現するのは悪趣味ですらある。
役者は嘘をつかなければならない。
「ほんとうのこと」と「人が『ほんとうらしい』と感じること」とはズレている。
物語は所詮は嘘だし、嘘で構わない。
けれどリアリティのある嘘でなければならない。
嘘はうまくつかなければならない。
リアリズムなんて邪魔な考えは捨てるべきである。

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今日はその他に、音響・照明の講習会も実施しました。