2020年9月28日月曜日

今日の講義は「作劇法①」です

映像向けのシナリオ術なら、書店の棚にたくさん並んでいるのですが、
演劇の脚本についての指南書というのは、まずほとんど見当たりません。
それでも何冊かの良書を探り当て、
十何冊の中から、最大公約数を弾き出しました。
(遠回りもずいぶんしましたけどね、うん)
今日の活動は「作劇法」です。しかも「①」です。
「②」は明日やる予定です。
今日の講義で使った資料を以下に掲載します。

大前提としてなぜ演劇なのか
そもそも、その物語を物語るのに、
演劇が最適の表現手段であるかどうか。
この部分をきっちり考えなければならない。
そもそも舞台というものは時間も空間も制約だらけなものである。
こんなガンジガラメの手法をわざわざ選ぶ意図がどこにあるのか。
それでもなお演劇という手段が有効であるか。
映画の方がいいんじゃないのか。
漫画やアニメーションの方がいいんじゃないのか。
小説の方がいいんじゃないのか。

創作脚本というもの
定義づけが間違っていたら済みません。
「戯曲」というのは上演不可能であっても構わない、
いわゆる文学として位置づけられるもの。
でも、われわれが創作するのは「脚本」である。
「脚本」は上演のための素材、設計図のこと。
あくまで上演することが目的だから、
カンパニーの中で共通理解が得られれば、体裁など関係ない。
そんなもんにはこだわらなくていい。
こだわるのは、そこじゃない。
大事なのは、書かれていることが舞台上で実現できるかということ。
技術的に無理だったり予算的に無理だったりしないか。
場所や時間、人数的な制約はないのか。
倫理的な問題もクリアする必要がある。
ところで、舞台上では何が無理なのか、
何が可能で何が不可能かを知る必要がある。
逆に言うと、不可能だと思われていることをやってのけること、
それは演劇の可能性を拡張するということである。
このチャレンジをしない若い人たちが多いよね。
もちろん禁忌にはそれなりの理由がある。
ヘタに破ってしまうと、そのホールに出禁を喰らう。
遵法精神に則って、逸脱できるところはおおきく跳ねる。
劇団ERAが毎回のように演劇実験を試みるのは、そのような理念による。

登場人物の典型がある
観客が感情移入しやすい人物を造形する。
高校演劇においては主人公はやはり高校生がテッパン。
登場人物はその親、教師あたりか。客層に合わせる。
主人公が成長(変化)する過程を描くのが物語である。
主人公は何かを喪失している必要がある。
というか、人間なら誰でも不完全なところがある。
本人の性格的な欠点でもよい。
たとえばやさしさが欠けている。
取り巻く環境に欠けたところがあっても良い。
たとえば平和が欠けている。
これを完全なものに回復するために主人公が動く、
その過程に物語が生まれる。
主人公の行動の動機は、ひとつでなくとも構わない。
主人公が物語を通して一番大きく成長(変化)する。

リアルなものはグロテスクである
大衆の耳目を集めるエピソードというのは非日常の中にある。
のほほんとした日常には興味深い刺激的な事件は起こらない。
しかしながら、リアルを舞台で再現するのは悪趣味ですらある。
役者は嘘をつかなければならない。
「ほんとうのこと」と「人が『ほんとうらしい』と感じること」とはズレている。
物語は所詮は嘘だし、嘘で構わない。
けれどリアリティのある嘘でなければならない。
嘘はうまくつかなければならない。
リアリズムなんて邪魔な考えは捨てるべきである。

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今日はその他に、音響・照明の講習会も実施しました。

2020年9月15日火曜日

がち!

本日の舞台鑑賞会(映像ですけどね)の復習をしましょう!
演劇にはさまざまな「がち」が存在します。

まず冒頭から
ソファに座ったかと思うとスグに立ち上がりがち
かと思うとソファの周りをぐるりと回ってまた座りがち
ぐるぐるしながら会話を続けがち
冒頭の会話であくまで自然に状況が説明されがち

照明でエリアが区切られがち
エリアからエリアを移動する時にMEをあおりがち
移動して照明が決まると同時にセリフを発しがち
いわゆる時間と空間を軽やかに飛び越えがち

オープニングでダンスしがち
ダンスに傘とか使いがち
役柄の関係性をここで紹介しがち

少年は少女と出会いがち
「ひょんなこと」が起こりがち
脇役にコンビとかトリオとかが登場しがち
ストーリーとは関係無く細かい笑いを欲しがりがち
悪ノリしがち
ちょっとしたことで強く怒りがち
しかも相手役も同じテンションで怒ってきがち
MEがさらに双方の怒りを増幅しがち
結果として役者の台詞が聞き取りにくくなりがち

昔はヒロインやってたヒトが悪役を演じがち
制作で入ったヒトが役者に転向しがち
しかも主役を演じがち
若手女優をゲストに迎えがち
しかもこれが初舞台

そしてクライマックス
激しく時間と空間が行ったり来たりしがち
せわしなく役者がデたりハケたりしがち
照明・音響のスタッフはてんやわんや
観ているこちらの方が焦りがち
万感の思いを込めたシーンは
セリフではなくむしろ所作で表現しがち
抱きしめようとした腕が一瞬ためらいがち
天国に召される時の照明は目潰しを使いがち

後日譚
脇役の会話が長く続くと思ったら主役が着替えて登場しがち
ラストはもちろん音響をあおりがち
役者は所作で会話を続けがち
緞帳が降りきるまで



ちなみに
これってどこの演劇集団のなんという作品かわかりますか?
(あ、演劇集団って言っちゃった)
いいぇ別に他意はないんですよ。
ホントに。
こういう手法はウチの作品でも何度も試しましたからね。
それこそ何度もね。
むしろ好きなんですよ。
うん。
1年生にわかってもらえるかなぁ。


はやく活動再開してくれ!


2020年9月9日水曜日

嫁入り道具だど

ウチらは舞台装置も作ります。

こんなのあたりまえだと思ってたんですけどね、

イマドキは舞台装置を外注する学校さんもあるらしいんで、

一応アピールしておきます。

新入団員はいずれ工具類を個人で揃えることになります。

部室にもいくつか置いてありますが、

ここはやはり自分専用の道具を持ちましょう。

自分専用だと、やはり道具に愛着が湧きます。

なにより道具の扱いが丁寧になります。

結果として技術の向上につながります。

というわけで工具類の紹介記事です。

まずはナグリを入手しましょう。
町のホムセンでは扱ってないかもしれません。
舞台屋槌(ぶたいやつち)で検索してポチるのが早道です。
が、しかし高額商品のため「絶対これじゃなきゃダメ」というもんでもありません。
ひとつだけ注意点がありまして、
似たような商品に釘を打つ面に凹凸が入ってるのがあるんですよ。
それだと釘を打ちこんだ時に部材に跡がついちゃうんです。
そういうのじゃないヤツを買いましょう。
反対側はバラシの時に使う簡易的な釘抜きになってますね~うん。
まあパイプハンマーとかいうので十分なんじゃないですか。
あるていど頭に重さがある方が逆に使いやすいですよ。
重さで打ちますんでねえ。
ちなみにナグリの下にあるのは豚革の作業用手袋ですね。
軍手だと滑るんですよねぇ~。
ちょっとぐらいの熱なら平気ですからねぇ~。
灯体も怖くないですよ。シュートの時にも使いますよ。
というわけで豚革を愛用です。


ノコギリですね。
ノコって呼んでますね。そのまんまですが。
安全性と携帯性を考えたらこれ、折り畳み式ですね。
木材をカットするのに使いますのでそれ用のものを選んでください。
画像はちょっと銹びが出てますね。
年季が入ってますよ、もう15年は使ってます。

ドライバーは+(プラス)があればいいですね。
グリップにある程度の直径があると回し易いですよ。
本当はもっと太いのを持ってるんですけどね。
今日はちょっと見当たらなかったみたいです。
自分の工具はちゃんと整理しとかなきゃいけませんね。


カッターはこのぐらいの大きさのものを。
折る刃式のカッターですね。
薄ベニぐらいならこれでザクザク切っちゃいます。
下段のようなダイヤルで刃を固定するものがいいですよ。
そのほうが切る時に安定します。
てことはつまり安全です。


これも手に入れてください。
メジャーです。
目盛りをよく見てからレジに向かってくださいね。
この画像じゃわかりませんが尺スケールが付いてんですコレ。
尺とメートルを併記してあるんですね~、うん。
演劇界隈ではいまだに尺で長さを言ったりしますからね。
舞台の上だと尺の方が便利なんですよ、実際。
この前の稽古で役者ひとりあたりのスペースの話をしましたね。
あれが六尺四方でしたよね。
ええ180センチ四方ですからね。


曲尺(かねじゃく)とも言いますね。
さしがねなんて言いますね。
これがなかったら木材1本切れませんね。
こいつの写真を撮影するのを忘れてました。
工具袋に入ってなかったんですよ。
ということで絵を描きましたけどね~、うん。




肝腎なのは道具を揃えることじゃないんです。
道具は使ってこそ初めて本当の価値が出ます。
そのために正しい使い方を身に付けてもらいます。
10月に入ったらそういった「稽古」もやっていきましょう。
正しく合理的なフォームで安全に効率の良い作業を実現します。
私の祖父は宮大工やってましたからねえ。
幼時からの英才教育ってやつですね~、うん。

2020年9月7日月曜日

史上初をやっております

たいしたことではありませんが…。
振り返れば劇団史上初。
これまでやってこなかったことが異常。

まず、前回のブログでもお知らせしましたとおり、
劇団ERAは秋季地区発表会に参加しません。
新型コロナがこわいからということももちろんあります。
でもそれでボイコットするわけじゃぁない。
いまはまだ客前に出せる状態じゃないんです、
ホンットに。
とにかく未経験の新人ばかりが集まりましたから。
ヤル気だけはあるみたいなのが救いです。

で、今回ですね、画期的なことをしまして、
練習計画表なるものを作成したんです。
この9月はそれにしたがって稽古をすすめております。
実はこれが劇団史上初となります。
大会に出るあてもないままに、ひたすら基礎練習の日々です。
逆にそのおかげで副産物がありました。
ゆったりと毎日を過ごせてるんです。
計画表を作ったのも初ですが、
こんなに稽古そのものが目的化するのは初めて。
なにより気持ちに余裕があります。

もちろんこれまでも大会前にはスケジュールを組みました。
でもそれって大会の日程から逆算して決めた、
いわばノルマをこなすための計画。
ひしひしと実感してます。
今までどんだけ忙しかったんだろう。
ずっと外発的な圧力に追われてきたんだなぁ。
自分たちの意志とは関係なく、
演劇「させられて」いたんじゃないか。

新型コロナの影響で8本の公演がフイになりましたが、
(8本だぞ8本!ひとつやふたつ大会がなくなったぐらいで泣いてんじゃねえよどこかの運動部さんよ)
たしかに現役部員たちには不幸なことですが、
逆に「演劇部」の活動の在り方を考え直す機会になりました。

階段の一番下から一段ずつレベルアップできるよう、
毎日のメニューを月単位で組みました。
初歩の初歩、基礎の基礎から、徐々に身につけられるように。

ひとつひとつの練習に入る前には、
そのメニューを通してどんな能力を身につけて欲しいのか、
以前にやったメニューとどうつながっているのかを、
明確に伝えるようにしています。

ようやくよちよち歩きを始めたばかりで、
現役が成長を実感することなんてまだまだ先のことでしょうけど、
薄紙でも重ねていけばいつか分厚くなることを信じて。
がんばっていきまっしょい!


2020年9月1日火曜日

ボイコットというわけじゃないけれど

やっぱりお客さまを第一に考えちゃいますね。

なぜなら自分たちも最初は客席の側にいたから。

自分たちが舞台から受け取ったものを、

今度は別の誰かに舞台で手渡していく。

それが私たちの仕事だと思っています。


だから下手な芝居は打てない。

高校演劇だからって甘えは許されない。

「♪稽古不足を幕は待たない~」と歌った人がいますけどね、

でもその幕は上げちゃいけないんです。


私たちは圧倒的に稽古不足です。

休校措置が解除されてもしばらくは部活動が解禁にはなりませんでした。

現在いる部員たちも本格的に始動したのは夏休みが明けてからです。

脚本を創作するところから始めると9月末には到底間に合わない。

じゃあ既成の台本を探せばいいのではとおっしゃる?

魂を売り渡すわけには行きませんよ!


もうちょっとだけ時間をください。

劇団ERAは秋季地区発表会を棄権します。