夢オチについて考えてみた
最後の最後に「実は夢でした~😊」で許されるにはどうすればよいのか
夢のパートが圧倒的に面白ければよいのではないか
なんとか逃げ切れるのではないか
パワーで押し切ることができるんじゃないだろうか
でもすべてのお客さまにご納得いただくことは
つまり
すべてのお客さまに面白がっていただくのは
むずかしいんじゃないか
あるいは
無理なんじゃないか
ということなら初めから夢であることを提示してしまうのはどうか
そうしたら舞台でどれだけ突飛な物語が展開しても
「だって夢なんだもん」のひと言で説明が可能である
しかしそれでいいのか
覚醒時には理性に隠蔽されている
深層心理がのっと顔を出すのが夢である
ならば舞台で展開する出来事は
主人公の抑圧された願望の合わせ鏡
あるいは
主人公の抱える心の闇
「これは夢ですよ」と事前に提示して
ドロドロした黒い欲望や
ヒリヒリした心の傷を描くことは
果たしてエンターテインメントたりうるか
荘子の『胡蝶の夢』によると人生は果敢ないものらしい
テーマとして「人生の果敢なさ」は適切なのであろうか
夢のメカニズムには解明されていない部分も多いと聞く
物語を紡ぐにあたっての方便として夢を使うことは
まして夢そのものを物語の主眼として扱うことには
いささかの躊躇を禁じ得ないです
bgm:Blur『Song2』